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今や洋服を通販で買うのも当たり前の時代です。
10代の女子中学生や女子高校生、女子大学生、専門学生などの学生さんやフリーターさんOLさん、いろいろな人がいると思いますが「とにかく安く買いたい」という人が多いのではないでしょうか。

高級ブランドではなくプチプラブランドがいい、でも通販サイトをあまり知らない・・・

こんな人も多いのではないでしょうか。

そこで10代向けのプチプラ通販サイトを紹介しているHPがあります▼
10代 安くて可愛い服 ファッション通販

実はこのHPは私が運営しているのです!

なのでここでもちょっとだけおすすめ通販サイトについて書いておきます。

まず10代女子に絶対におすすめなのがGRL(グレイル)という通販サイトです。
流行の最先端の可愛い服がめちゃくちゃ安く買えちゃいます!
ワンピースでもコートでもバッグでもジャケットでもとにかくレディースファッションは全部そろいます。
知らない人にはぜひチェックして欲しいです。

つぎがソウルベリーというお店。
ソウルベリーはGRLよりももう少し上の年代の人がメイン層だと思いますが、10代でも全然問題なく着こなせます。
値段ももちろん安いです。
ファッションの系統としてはナチュラルガーリーにカジュアルを足した感じです。
ナチュラル系ファッションが好きな人におすすめです。

そして次がピエロ。
ここもメイン層は10代ではなく、30代~40代だと思いますがシンプル系なので年代を問わず着こなせる服が多いです。
きちんとした清楚系ファッションが好きな人におすすめです。

そして次はハニーズです。
全国にリアル店舗があるので知っている人も多いのではないでしょうか。
ネット通販の利点は暇なときにじっくり商品を選べるところです。
実店舗になかなか行けない人でも通販なら朝でも夜中でも商品を選んで注文できます。
ファッションの系統としてはカジュアル系寄りだと思います。

そして最後がshoplistです。
shoplistではたくさんのプチプラ系ブランドの服が販売されていてまとめ買いするのに便利です。
10代だと一度にそんなにたくさん買わないかもしれませんが、あっちこっちの店で別々に注文するよりshoplistでまとめ買いしたほうが送料がお得な場合もあります。

あとは上の私のHPでは大きいサイズの専門店についても書いてあります。

洋服選びの参考にしてください。

ママファッションといってもカジュアルだったりきれい目だったりいろいろとあり、どんなママファッションをすればいいのか迷っている人もいるのではないでしょうか。
また、ママ服はどこで買えばいいのかわからない人もいるでしょう。
ここではママファッションに悩むママのためにおすすめのママ服通販サイトを紹介しようと思います。

ナチュラル系ファッションが好きならsoulberryというお店がおすすめです。
値段は安めで買いやすくてママファッションに使える可愛い服がたくさんあります。
大きいサイズの服も置いているお店なので産後太りで悩んでいる人にもいいと思います。
「soulberry ママ部」という特集もショップ内でやっていて子供がらみのイベントのコーディネートなどが提案されています。

 

上品で清楚なファッションが好きならpierottというショップがおすすめです。
pierottも値段が安くて買いやすいです。
このお店はプチプラにもかかわらず大人っぽい上品なコーデが提案されているので、そのまま真似するだけでも大人っぽい上品なママファッションが完成します。
バッグやアクセなどの小物使いもぜひ真似して欲しいポイントです。

 
都会的でクールなカッコイイママ服が欲しい人はtitivateがおすすめです。
titivateではモード系にカジュアルとガーリーを足したようなかっこいい系のママ服が買えます。
私服としてだけでなく子供のイベントなどに着ていくのもいいと思います。

 
そして最後に紹介するのがSHOPLISTというお店です。
このお店は楽天市場のようにいろいろなブランドの服を買える総合的な巨大ファッション通販ショップです。
ただ、楽天市場と違って複数のブランドの服を買っても全部一緒にまとめて届けてもらうことができます。
そして、SHOPLISTではメンズ服やキッズ服も扱っているので、旦那さんや子供の服も自分の服と一緒に頼んでまとめて配送してもらえるので便利です。

 
ママ服、ママファッションはやはり上品さや大人っぽさというのが重要だと思います。
しかしだからといってただ地味な服装をしなければならないというわけではなく、上品な大人っぽさを演出しながらおしゃれを楽しむというのも難しくはありません。
今回紹介したショップは高級ブランドではありませんがプチプラブランドでもおしゃれなママファッションはできるのでぜひ参考にしてください。

ママ服通販サイトがさらに詳しく紹介されているサイト
おしゃれ ママファッション 通販

宮本 百合子

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 どういう意味からにしても、今の場合それをいうのは少し困ります。表面だけで誤解されることが厭なんです。でもこういうことはいわれると思います。今の時代では、妻は自分の生活をすべて夫の生活に適応させなくては生活することはできないということ。または、たとい妻の意見が夫の意見と違っていても、世間の人は、夫の意見は妻の意見だという風に看做してしまうし、それから夫が間違ったことをして、妻がその間違いであることをいっていても、一般の人達は妻も間違っているものだと思っているという風に、何でもかでも、夫即ち妻でなくてはならないというのは、苦しい生活です。また日本の昔ながらのいい妻であれと願われることも現代の妻にとっては可なり大きな不平の一つでしょう。

 これからは男性とか女性とかいう風に相対的にものを考えることが少くなりましょう。それは私だって女房であった頃には自分の夫に対してはああも、こうもと思いましたが、此の頃は男性対女性というような事でなしに、ひっくるめて人間というものについて考えています。

 よく貞操のことで男が道楽するなら女だって――というようなことを聞きますが、私はもうそんなことは下の下だと思います。それは私にしてもやきもちもやけば、こっちの気心も知らないで――と腹の立つ事もありましょうけど、道徳の根本問題は何も人がこうだから自分もこうだというのではないからそこからもう一歩踏み込んで、なぜ道楽をするようになるかという所まで究めたいと思うのです。

 そうなるとオフィースや家庭の問題になって一人の男の情熱を打込ますだけのことがなぜ出来ないかということになりましょう。

 道楽をしたからっていい人もあるし、又しないからって随分ひどいやつもあるのですからね。男も間違ってるかも知れないが、女だって随分ウカウカと日を暮らしてる人が多いのですから……

 女性にとって男性は或る場合は夫であり、またパアトナアであり、また友人であったりしますが、現在ではそれぞれの位置は機械と同じことで同じ生活の循環をやっているのです。古いものが棄てられて新しいものが――といっても気持の統計がとれるものならば、結婚など真に新しい気持でやっている人は極僅だと思うのです。

「何をあげましょう」と云って出て来た十四許になる小僧は大きく目を見はって「エ、十二文ノ――コウ高ですって、十文のこう高のまちがいじゃあありませんか」と云って火鉢の方をふりかえってうす笑いをする。じいやはニヤリともしないで「なんぼもうろくしたっても自分の足の大きさまで忘れやしまいし」と云ってじれったそうにどぶ板をカタカタとふみならして居る。私は軒先に立って面白い問答をききながら向いの雑貨店の店さきで小さい子供の母親の膝にもたれて何か云ってあまったれて居るのを自分もあまったれて居るような気になって望めて居る。帳場に坐って新聞をよんで居たはげ頭の主が格子の中から十二文ノコウ高はお合にくでございますよ。東京中おたずねになってもおあつらえでなくてはございませんよ」と云った。小僧はだまって又もとに火鉢のそばにかえった。じいやはだまって店を出て「やっぱりあつらえか」と云って歩き出した。私もだまって歩いた。家に帰るまでにまだ三四軒たびやがあったが、「おあつらえにならなくてはそんな大きい足袋は東京中にありませんよ」と云われたのがきいたと見えて「十二文のこう高は」はくりかえさなかった。じいやは「東京にもおれの足袋はないと見えるわい」と云って家にかえった。
 それから一週間許たった風の強い日に〆て十銭也とかき出しのついた大きい足袋が二足じいやの所にとどけて来た。爪の先がもう少々白くなって居るが今はいて居るのがその足袋である。
 十二文のコウ高の足袋もじいやの足が入るとはちきれそうにいっぱいである。

 現在の、特に日本の、不調和な社会状態のうちに生活しているわれわれ、殊に、外部的交渉をおおく持つ男性が、心的、物質的に疲労しているということは、否めない一つの事実でしょう。不安定は、一般の経済状態を考えただけで、勤労と休息とのつり合が、如何程まで破れているかあきらかだと思います。これに対して、物価調節、各家庭に対する節約宣伝のような、やや消極的方面の問題、また積極的には女性の自給自立、労銀等の問題から、根本に近い、社会主義上の諸問題が、惹起されます。これ等は、おもに流動する貨幣のみちびきかた、適当な配分を考究して、金によって支配される、生活に必須な物質方面から、人間生活を正当なものに落ち付けて行こうとするのではないでしょうか。けれども、私が、深く疑問に思うことは、それ等の諸問題が学理的に解決されただけで、男性のみならず、総て、現代の人間が持つ、疲労、浅い精神の活動状態が、恢復されるかどうか、という点です。言をかえていえば、それ等社会学、経済学的原則が実行に移されようとする時、乾坤一擲、新たな生命を以て、しんからうまれ変らなければならない根性が、人間の、人生に向かう態度のうちにあるのではないだろうか。その根性がある為に、時代から時代へと、今日まで社会の状態は不自然になり、自己の無反省な慾望の築き上げた塔に、かえって、今幽閉されることになったのではないか、と思うのです。なぜなら、昔から、人類がやっと文字を発明した時代から、真個に人間の生きている意味、子から子へと絶えない愛を以てまもり、懐きあこがれる、真理の追求の為に、身を捧げて人生に対した少数の人々は、決して、「わたしは人生につかれた、暮しがつらい」とはいいませんでした。うまれた甲斐には、ねらうべき点を、間ちがえず見つめ、生活内部の軽重ということを、はっきり知っていた。